貝のため息

体当りで色々。。

7月 22
tnoma:

kml:

<皆既日食>1887年、男体山頂で皇族が観測スケッチ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
【栃木】1887(明治20)年8月19日、栃木県日光市の男体山(標高2484メートル)の山頂で、幕末・明治時代の皇族、陸軍軍人の北白川宮能久親王(1847~1895年)らが皆既日食を観測した際のスケッチが日光市の民家に残っていることが分かった。皆既食を中心に5段階で満ち欠けが描かれており、当時の関心の高さがうかがえる。
保存していたのは日光市下鉢石町の高野(こうの)隆史さん(53)。当時の文献には、見物のため外国人300人以上、日本人は5000人以上が訪れたと記され、客を多く泊め過ぎた旅館の2階の床が抜け落ちたほどだと、混雑ぶりが記録されている。
世界遺産の「日光の社寺」の一つ、輪王寺の門跡を務めた北白川宮もその一人。明治以後は還俗し、当時は陸軍少将だった。北白川宮に仕えていた当時の高野家当主、盛三郎氏が記した「高野家文書」に日食を観測した記録が残っている。
スケッチは和紙に墨で描かれた「日光二荒山上日蝕観測之図」。この時「紫色青色黛赭数種ノ硝子盤と望遠鏡ヲ以テ観測ス」とあり、「第壱図」は午後3時35分、太陽の右下部分が欠けている様子が描かれ、同48分の「第三図」で皆既食、「第四図」の3時52分では「復光最初の観測」と太陽が再び輝き始めた様子などが5段階で描かれている。皆既食時には「暗黒虫禽鳴ヲ止メ距離六七尺ニ在リテモ甲乙誰某タルヲ辨知スルヲ得ス」などと、周囲の様子なども記されている。
日本が近代に入って初めて経験した皆既日食。内務省が官報で地方官庁や学校に観測の心得を示したほどだった。高野さんは「宮様もよく登って見たと思う。よほど興味があったのだろう」と話している。

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<皆既日食>1887年、男体山頂で皇族が観測スケッチ(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

【栃木】1887(明治20)年8月19日、栃木県日光市の男体山(標高2484メートル)の山頂で、幕末・明治時代の皇族、陸軍軍人の北白川宮能久親王(1847~1895年)らが皆既日食を観測した際のスケッチが日光市の民家に残っていることが分かった。皆既食を中心に5段階で満ち欠けが描かれており、当時の関心の高さがうかがえる。

保存していたのは日光市下鉢石町の高野(こうの)隆史さん(53)。当時の文献には、見物のため外国人300人以上、日本人は5000人以上が訪れたと記され、客を多く泊め過ぎた旅館の2階の床が抜け落ちたほどだと、混雑ぶりが記録されている。

世界遺産の「日光の社寺」の一つ、輪王寺の門跡を務めた北白川宮もその一人。明治以後は還俗し、当時は陸軍少将だった。北白川宮に仕えていた当時の高野家当主、盛三郎氏が記した「高野家文書」に日食を観測した記録が残っている。

スケッチは和紙に墨で描かれた「日光二荒山上日蝕観測之図」。この時「紫色青色黛赭数種ノ硝子盤と望遠鏡ヲ以テ観測ス」とあり、「第壱図」は午後3時35分、太陽の右下部分が欠けている様子が描かれ、同48分の「第三図」で皆既食、「第四図」の3時52分では「復光最初の観測」と太陽が再び輝き始めた様子などが5段階で描かれている。皆既食時には「暗黒虫禽鳴ヲ止メ距離六七尺ニ在リテモ甲乙誰某タルヲ辨知スルヲ得ス」などと、周囲の様子なども記されている。

日本が近代に入って初めて経験した皆既日食。内務省が官報で地方官庁や学校に観測の心得を示したほどだった。高野さんは「宮様もよく登って見たと思う。よほど興味があったのだろう」と話している。


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